「死を忘れると、生がぼやける」
曹洞宗を代表する老師、青山俊董氏は、「”死”を意識しないと生き方が軽薄になる」と伝えています。
高度に発展した社会では、死を意識する場面はそう多くありません。
人が死ぬのも無常、生まれるのも無常、不幸な人が幸福に恵まれるのも無常。
諸行無常とは、「この世のものは絶え間なく変化し続ける」という人生の儚さを、ありのままに述べた仏教の真理の一つです。
ウェルビーイングと、日本の代表的な宗教である仏教は、どのようなつながりがあるのでしょうか。
「ウェルビーイングに生きる」ための探求と実践を行う、令和の寺子屋 Well-Being School 。
今回のテーマ「思想宗教とWell-Being」にふさわしい特別ゲスト、曹洞宗 耕雲院 副住職 河口智賢(かわぐち ちけん)さんをお招きして、明らかにしていきます。
「思想宗教とWell-Being」
一般社団法人Well-Being Designとeumo Academy主催による「令和の寺子屋 Well-Being School」
これまで半年間にわたり「ウェルビーイングに生きる」ための探求と実践を、神奈川県南足柄市の大雄山最乗寺で行ってきました。
最終回である今回のテーマは、「思想宗教とWell-Being」です。
立春を過ぎ、春一番の嵐が吹き荒れる2月、幸福学・ウェルビーイング研究者の前野マドカさん、共感資本社会の実現を目指す株式会社eumo の岩波直樹さん、そして曹洞宗 耕雲院 副住職の河口智賢さんをゲストにお招きして「宗教とウェルビーイング」について語っていただきました。
智賢さんは冒頭、「宗教はウェルビーイングのためにある」と語ります。
どういうことなのでしょうか?
大雄山最乗寺
開創以来600年の歴史をもつ関東の霊場として知られ、全国に4000余りの門流をもつ最乗寺。 曹洞宗に属する格式高い寺として知られ、仁王門から続く参道には樹齢500年以上の杉並木が立ち並び、荘厳な空気があたりを包む。
登壇者
河口智賢(かわぐち ちけん)
1978年、山梨県都留市生まれ。曹洞宗 耕雲院 副住職。 駒澤大学卒業後、大本山永平寺にて4年間修行。修行で得た経験を活かし、坐禅や精進料理など「禅」の魅力を発信する布教活動に邁進する。曹洞宗布教師・梅花流師範・全日本仏教青年会理事・全国曹洞宗青年会第22期副会長を経て、積極的に地域、学校、行政また企業との交流を深め、現代社会が求める実生活に生きる仏教のあり方を参究する。主な活動として、参禅活動・精進料理教室・講演・坐禅とヨガなどのコラボレーション企画・地域食堂(子ども食堂)・お寺で学び、遊び、食事、体験する未来の寺子屋・雑誌掲載など多岐にわたる。
前野マドカ
EVOL株式会社代表取締役CEO、慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科附属SDM研究所研究員、IPPA(国際ポジティブ心理学協会)会員。サンフランシスコ大学、アンダーセンコンサルティング(現アクセンチュア)などを経て現職。幸せを広めるワークショップ、コンサルティング、研修活動及びフレームワーク研究・事業展開、執筆活動を行なっている。
岩波直樹
株式会社 eumo ユーモアカデミーディレクター 株式会社 ワークハピネス Co-Founder 一般社団法人 ユーダイモニア研究所 理事 大学卒業後、富士銀行(現みずほ銀行)に入行。法人営業および外国為替業務を担当。 様々な企業経営者と向き合う中で、経営において「人と組織のもつ潜在能力をどう引き出すか」という命題にたどり着き、自ら実践者となるべく2002年ワークハピネスの立ち上げに参画。経営において社員やステークホルダーのハピネスが創造的価値を生むということの実証に取り組む。 ユーダイモニア研究所では、共感資本社会の到来を促進すべく人や組織の“目に見えない資産”の“見える化”の研究や、自律分散型社会など新たな社会システムの研究活動を行っている。また株式会社eumoでは、次の社会を担う認識の拡がった(OSチェンジ)人材創出と、自律分散型共感ネットワーク構築のための教育と場を提供するユーモアカデミーを立ち上げディレクターを務める。
宗教とは心の拠りどころ
宗教とは何でしょうか。
智賢さんは、宗教とは「心の拠りどころ」だと語ります。
何かにつまづいて転びそうになったとき、そっと受け止めてくれる、お布団のようなもの。
宗教は、わたしたちに寄り添うもので、心と密接につながっています。
ウェルビーイングとは、肉体的・精神的・社会的によい状態であることで、心がよい状態であることは、ウェルビーイングにとっても重要な要素です。
心を正常に保つには「共感」が必要
世間の目、一方的に意見を押しつけてくる上司、SNSの炎上。
現代社会では、さまざまな「人生の検察官」たちの「こうあるべき」という価値観があふれ、なんとなくこの世を生きにくくしているように思います。
そんな世の中で、わたしたちはどうやって心を正常に保てばよいのでしょうか?
岩波直樹さんは、そのために必要なものが「共感」だと語ります。
共感資本社会とは
高度成長社会では、人類は合理化と効率化によって、物質的な豊かさを享受してきました。
そこでの組織やコミュニティは中央集権的・全体主義的で、統括と管理が重要視されていました。
これがいままでの資本主義社会です。
しかし、高度に成熟し、物質的豊かさを享受しきった世の中では、個人の価値観にもとづいた心の豊かさや人間性が大切にされ、自分らしい生き方を求める人が増えています。
大切にしたいものを大切にする。あたりまえだけれど、目に見えない価値を資本として育み、共感をベースに様々な活動ができる社会を「共感資本社会」と定義しています。
「共感」はあいまいな言葉ですが、自立した個人は、それぞれの共感をベースに、多様で個性的なコミュニティをつくっています。
共感資本社会では、個人が多様な共感をベースに、それぞれのコミュニティで重なりながら、お互いの活動を応援しあうようになるでしょう。
縁起は ”縁りて起こる” これが寺子屋の本質
共感のためには、人と人とのつながりが必要です。
仏教用語で「縁起」という言葉があります。
「全ての物事は、ある原因と、それを助長する条件(縁)によって起こり、相互に関係して成立している。 孤立して存在するものは、この宇宙に一つもない」という意味で、この世の真理を表しています。
仏教は孤独に修行に励むイメージが筆者にはありましたが、実は常に関係性のなかにあるのだと智賢さんはお話されます。
「縁起は”縁りて起こる”と書きます。集まるから何かが起こる、その関係性のなかで人々の営みが成り立ちます。場が大事なのです。」
年齢や立場の異なる仲間たちが教え・教えられるという関係性のなかで学ぶ。それによって何かが起こる。
「令和の寺子屋」という言葉には、そのような想いが込められています。
智賢さんが副住職をつとめる耕雲院は、地域住民に開かれたお寺として有名。子ども食堂「つる食堂」には、ボランティアの学生や地域の住民など常に人が集まる。他にもヨガや精進料理教室など、お寺に集い、学び、遊べる地域のコミュニティになっている。
より善く生きるために大切にしたい「死と生のメッセージ」
現代では安全性が重視されるあまり、時として子どもから痛みや死を過度に遠ざけようとしていないでしょうか。
ゲームが日常で、本物の死に触れることなく育った子どもは「死んでもリスポーン(復活)できる」と心の中で思っているかもしれません。
鎌倉時代に曹洞宗を開いた道元禅師は、経典「修証義」のなかで、次の言葉を残しています。
「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」
(訳:生まれるということ、生きているということ、死ぬとはどういうことかをあきらかにすることこそ、仏教者としてもっとも大事なことである。)
わたしたちは今、無限の関係性の中で生きていますが、関係性は変化し、必ず現象としての「死」を迎えます。
いつか死ぬこの命は、何のために生きているのか・・・
その意味を子どもたちにも教えてあげるべきかもしれません。
マドカさんが視察で訪れたデンマークの森の幼稚園では、斧や彫刻刀などの刃物が、子どもたちの手の届く場所にそのまま置いてあるそうです。
一見すると危険に感じられますが、園児たちは「怪我をするかもしれない道具は、大きいお兄ちゃんお姉ちゃんが使うもの。」と理解しています。
子どもたちは世の中に存在するものの存在意義やリスクを、年長者との関係性のなかで学んでいるのです。
昨今はさまざまな事情により葬儀が簡略化されることが増えましたが、お葬式は、遺族に死を明確に意識させ、死者が自らの体を通じて「死と生」を伝える最後のメッセージだといいます。
智賢さんにお話いただいたご自身の体験談が、とても心に残りました。
「自分はおじいちゃんの死がきっかけで、それまで迷っていたお坊さんになることへの決心が持てました。その後何年かしておばあちゃんが亡くなったのですが、葬儀でお経をあげている最中に、ぶわーっと涙が出てきたんです。それは悲しみの涙というよりも、やっとお坊さんになって、おばあちゃんにお経を読んであげることができた、あぁよかった。おじいちゃん、あのとき背中を押してくれてありがとう。という感謝の涙でした。」
家族とのつながり、生きがい、感謝。
「宗教はウェルビーイングのためにある」とお話されたことの意味がつながりました。
イベントの最後に、座禅体験をさせていただきました。
姿勢を整え、自分の呼吸に意識を向け、いまこの瞬間に心を集中させます。
しだいに、お経のような、歌のような、なんとも心地よく、力強く響く音色が聞こえてきました。
湧きつづける温泉に身を浸しているようで、体がじんわりと温まり、音に共鳴していくのがわかります。
智賢さんが発する音色の正体は「御詠歌」といって、仏教の教えを五・七・五・七・七の和歌にのせ、旋律とともに唱える、平安時代より伝わる宗教的伝統芸能の一つです。
時間にして5分程度でしたが、頭がクリアになり、心が温かく、いま生きていることに感謝したくなりました。
智賢さんは「心は移り変わるものなので、弱さも、強さも自分なのだと受け入れてあげてください。変化に囚われず、座禅やサウナなど、何でもいいので、1分でも時間をとって自分を整えてあげることが大切です。」と教えてくださいました。
「死を忘れると、生がぼやける」
死を意識し、いまこの瞬間の心の状態に向き合うことで、生きていること、誰かに生かされていることに感謝でき、より善く生きたいと思えるようになりました。
「令和の寺子屋 Well-Being School」は、4月から第2クールが始まります。
詳細はumo Academyのイベントページにアップされますので、ぜひご確認ください。